2013/02/08

6 松浦寿輝さん曰く、かつて授業は「体験」であった。

 松浦さんは表象文化論がご専門。この一文は東大出版会の月刊「UP」誌2007年5月号に載っていたものです。かいつまんでご紹介しましょう。

 昨今の講演などでは、パワーポイントを用いて、話の内容を補ったり、例証したりする画像や図表が次から次へ呼び出される。主題を簡潔に整理したレジュメだの、複数の事柄の関係を示す図式だのが要所要所で随時提示される。話し手が何についてしゃべっているかが具体的に理解できるし、話全体の流れや組立てもすっきり頭に入る。まことに良いことづくめと言うほかはない。
 学生によるアンケートが毎学期繰り返され、教師は定刻に来るか、熱意はあるか、授業は上手いか、話がわかり易いか、よく準備されているか、板書は見易いか、その授業を受けて役に立ったか、等々、聞き手である学生さんたちから「評価」が下される時代である。大学教育はサーヴィス業であり、クライアントである学生さんたちに人気のない授業は悪い授業であり、聴衆の興味を持続させるように組み立てられた明快な「プレゼン」が、大学教師にも求められている。
 わたしも聞き手の興味を繋ぎ留めてくれそうな画像を次から次へと提示し、「面白くてためになる」授業を行って、お客さんたちに喜んでもらいたい。
 だが、それも、1972年、わたしが大学に入学した時の、井上忠先生のギリシャ哲学の授業がふと蘇ってくると途端に雲散霧消してしまう。

 早朝1限の授業だった。井上先生はいつも30分ほど遅れて教室に到着し、見るからに重そうな鞄を教卓にドンと置き、いきなり語り始めたのだった。教壇を右に左に移動しながら、何のノートもメモも見ずに、やや早口にただひたすら語る続け、1時間ほどして、唖然としているわたしたちを尻目にさっと出て行ってしまう。

 なぜわたしたちは唖然としていたか。朗々と響く井上先生のお話をせいぜい1割か2割ほどしか理解できなかったからである。日本語で話されているのにそれが理解できない。
 なにかとても大事な事柄が、他の誰にもできないような仕方で語られていることだけはわかる。この人の発する言葉一つ一つの背後に、恐ろしいほどの知的労力と時間の蓄積が潜んでおり、膨大な文化的記憶の層が畳み込まれていることもわかる。だが、哀しい哉、無知と無学のゆえに、わたしにはその内容が具体的に理解することができない。彼が語っていることを本当に理解するには、結局、沢山の、沢山の、本を読まねばならず、しかもその道には終わりというものがない。わたしはそのことだけは戦慄的に理解した。

 井上先生の講義から、何らかの知識なり情報なりを受け取ったわけではない。彼の講義は単に、或る決定的な「体験」だった。ほとんど理解できない言葉のシャワーを浴び続けるという、恐ろしくも爽やかな、それは「体験」だったのである。

 今も大事にしているその時の教科書を開くと、井上先生の講義の難しさは特殊な仕方で定義された概念や術語が多用されているからではなかった。そんなものの意味は哲学語辞典で引けばすぐにわかるし、その学問分野に固有のジャーゴンを目くらましの煙幕を張った講義の二流ぶりを見透かすには、大学新入生程度の知力で十分事足りた。井上先生はその後、いくつもの美しい本を上梓されたが、それらをすべて貫いているのは、哲学的ジャーゴンを廃し、「何か?」という始源の問のみを執拗に、仮借なく把持しつづけるその思考の剛直で潔癖な姿勢である。

 わたしは思い出す。タレスから始まる古代ギリシャの哲学史を縷々辿りつつあった講義の途中に、突然「論理哲学論考」と「哲学探究」の話を聞くことが、わたしたちをどれほど興奮させたことか。

 わたしは思い出す。或るとき井上先生は不意にミシェル・バタイユの「クリスマス・ツリー」の話をされた。このセンチメンタルな物語とギリシャ哲学との間に、どのような架橋があったのかまったく覚えていない。が、「クリスマス・ツリー」の話がいきなり出たことの驚きは、今でもなまなましく甦ってくる。

 わたしはまた思い出す。或るとき井上先生はこれもまた実に唐突に、マルティン・ブーバーの「我と汝」に言及された。あの時あの場で井上先生の口からその書名が出なかったら、きっとわたしはその本と一生出会うことがなかったに違いない。ブーバーの深い思索にいたくうたれた体験については、昨年刊行した拙著「方法叙説」の中でも少々触れた。ふとした余談のように井上先生が与えた小さなヒントが、まったく専門を異にする研究者となり書き手となった学生の、30数年後の著書にまで遠い波動を伝えることになったのである。

 井上忠のギリシャ哲学論がどういうものかなら、35年経った今ならある程度は理解できるだろう。しかし、私にとってそんなことよりはるかに重要なのは、あの何が何やらわからなかった「哲学史」の講義に出席することで、18歳のわたしがほとんど身体的に震撼された、その「体験」の方なのだ。井上忠の授業に出たことが役に立ったか否かと問われるなら、何の役にも立たなかったと胸を張って断言しよう。何の役にも立たなかったその授業は、しかしわたしの人生に手渡された、本当にすばらしい、貴重このうえもない贈物であった。

 そういう「体験」をさせてくださっている先生が教室に定刻に来ているかどうかを問題にしようとする小役人根性は、あのころは大学の側にも学生の側にもなかった。もし仮に、当時のわたしたちが、「授業評価アンケート」をやらされている今日の学生のように、井上忠の授業を「評価」するようにと求められたらどうしたろう。余人は知らぬが、少なくともわたしにはそんな畏れ多いことができたはずはない。畏怖と尊敬の対象であるものに、「評価」など下せるはずがないからである。
 実際、何かを教えてもらうべき聴衆の方で「評価」できてしまう程度の授業であるなら、そんなものなど最初から出席するに値しない授業であることは自明ではないか。

 誰もが薄々感づいていることだと思うが、畏怖も尊敬も、現在の大学からは消えてしまった。教養とは何か、教養教育とはどうあるべきか。この畏怖、この尊敬、それが教養なのである。自分にとうてい理解できないことが世の中に存在するということ、労力を傾け時間を費やせばそれにある程度接近できるということ、しかし「何か?」と問い続けるその道には果てしがなく、だから人間精神の栄光としての学問を前にして人は謙虚にこうべを垂れなければならないことーそれらを知ることこそ、教養にほかならない。

 あれやこれやの主題をめぐって一般知識や基礎的情報を得たいのなら、新書のたぐいを斜め読みするなり、グーグルにキーワードを入れて大雑把な検索を行うなりすればよい。むろんそれは、畏怖とも尊敬とも無縁の世界の出来事である。
 大学もまたそんな世界になりつつある。授業は今や「プレゼン」と化しつつある。教室は、小ぎれいにパッケージされた口当たりのよい知識を要領よく伝達する、能率的な教習会場の如きものになりつつある。

 以上で松浦さんの一文の抜き書きを終えます。この一文を読み終えた時に思い出されたのが、私が大学2年生のときのドイツ語(応用)です。その時、ヘルダーリンの詩が教材でした。「冬よ さようなら!」の2語に、たった2語に2週もかけて解説された授業を今でも思い出すのです。あの教室で、黒板に書かれたこの2語を、久保先生の顔と声を。40年近くなるのに。だからと言って、ドイツを、ドイツ語を究めるなんてことはありませんでしたが。単位はその時はとれず、3年次までお預けでした。(実は、4年生の時に単位取得だったんです。)